芸術か猥褻か。
男性器の写真が掲載されたアメリカの写真家、ロバート・メイプルソープ氏の写真集が、物議をかもしたことは記憶に新しい。
しかし、歴史を振り返れば、これまで幾度となく争われてきた問題でもある。
日本初の美術ヌード・モデルは、宮沢菊なる人物。
日本ではまだ、ヌードがいかがわしいものでしかなかった明治10年代、渡来してきたフランス人の裸体モデルを引き受けたのが本邦初とされる。
ヌードが芸術として認められ始めるのは、明治20年代になってからのこと。
なかでも黒田清輝は、多くの裸体画を描いた。
ところが、博覧会に出展した作品を風俗壊乱だとする警察が、腰部に覆いをかけ、芸術をめぐる論争に。
そんな時代だから、美術学校のモデル探しもひと苦労だった。
ここで活躍したのが、前述の宮沢菊。
東京で唯一のモデル紹介所を立ち上げたのだ。
スカウトはもっぱら街頭で、あるときは尾行までして、日説き落としたとか。
大正時代には、在籍モデルは100名以上。
女工の月給が6円だった大正6年のモデル料は、裸体半日55銭、着衣で40銭だったという。
時は流れ、今ではヌードといえば、まずは写真が頭に浮かぶ。
1990年代には、ヘア・ヌード写真ブームも巻き起こった。
事実上のヘア解禁は、91年に発売された篠山紀信&樋口可南子写真集から。
雑誌では、92年の宝島に掲載されたAVアイドル秋本詩織のヘア・ヌードが第一号となった。
アートかエロか。
ハダカをめぐる論争は、今も悩ましい。
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